実行できない理由は経験がないから

計画を立てても、多くの議論を積み重ねても何故か実行できない。その理由はシンプルで、経験がないからである。

D.A.コルブの経験学習理論でいうなら、経験を通じて抽象化し、内省をした上で積極的行動に出ることが学習サイクルとされる。

昔、師匠が言った。「理解と納得は違う。言葉は理解しても、自身の経験と照らし合わすことができたら人は納得して頷く。そうだそうだと。しかし、臨場感の無いものはイメージが湧かない。だから本当は理解していない。疑似体験でもあれば、それに照らし合わせイメージを掴むことができる」。

コンサルタントとして事業開発に20年以上携わっているが、やったことがある範囲でしかやろうとしない。或いは、他のこと(多くは日常業務で緊急性の高いもの)を理由にやろうとしないか、ほんのちょっとだけ報告書をいじるだけで終える。

行動を変えない限り結果は変わらない。

リスクを取って新たな行動に挑戦する勇気がなければ結果は変わらない。

近頃は上手く言い逃れて、斬新な奇抜な情熱的な行動を取る人はあまり見ない。平和になりすぎたのか。情熱を傾けるもの、好奇心がないのか。

VUCAの時代、問われているのは新たなことに挑戦すること、行動することである。

(宮川 雅明)

直観

先日、ある経営者にお会いした。論理的でないと周りから御叱りを受けていて悩んでいるという。

経営者或いは企業者において直観の重要性は古くから指摘されている。1979年「経営構想力」大河内暁男は企業者の能力の第一は直観と指摘している。

昨今(2009年)では、Gerd Gigerenzerは“不確実性が高い環境においては、直観の方が論理思考より正確な将来予測をする。”と結論づけている。

Effectuationにおいても同様のことが指摘されている。

そもそも過去に例のないことを考えるのだから、論理的に詰めたらやめた方が良いということになる。しかし、過去に例のあることをやった瞬間に差別性は無く、コモディティ化する。

そんな話をしたら、「こんなに気持ちがいい日は久しぶりだ」といって玄関まで見送っていただいた。

若い人は論理的に考えた方がよいが、年長者は直観に頼って良い。脳のメカニズムでもそのようだ。

(宮川 雅明)

先達への感謝

私は既に高齢者の仲間入り。ニューヨークで起業する以前より海外での活動の機会を頂いてきた。

何よりも驚くのは、海外における日本人ビジネスへの対応である。様々なことはあるが、仕事への態度、品質への責任、相手への礼儀など日本人ビジネスへの評価は極めて高い。

高度成長期を経験していい時代でしたよね、と思っている方も多いと思うが、どれほど団塊世代以上ががむしゃらに働き、裸足でリヤカーを引いた戦後日本を支えてきたかを忘れはいけない。高齢化社会というと殆ど良いイメージはない。むしろ邪魔者扱いにされる雰囲気さえ感じる。

近頃は働き方改革とか、ちょっと指導するとパワハラとか指摘されるらしい。私のつたない経験では、指導といういうより強制に近い指導であり、問答無用であった。しかし、愛情に満ちていた。君たちに将来の日本を任せるぞ、という気概をひしひしと感じたものだ。働き方とかパワハラとか安易に言う前に、仕事があることに先ずは感謝する心を持って欲しい。

何故、問答無用なのか。それはいってもわからないから。経験がないものはわからないし、できない。守破離(序破離とか言い方はいろいろ)というのがある。人が育つプロセスである。先ずは真似る。定石を覚える。日本の伝統芸能の殆どは真似ることから始める。楽譜もない、マニュアルもない。ある落語家は「盗もうとしない弟子には何も教えない」。教わっていません、聞いていません、マニュアルにありません云々は素人か未熟者の小理屈ではないか。

破は真似たものを、定石を使いこなす。使いこなすこともできずに、勝手にやることを形無しという。型破りとは異なる。

ネットが普及したおかげで何でもかんでも答え探しをする。私の育った組織では、下手に質問をすると怒られたものだ。師匠が言った。「質問をする前に、お前はどう思う。仮説をいってみろ。」「考えろ。仮説をもって聞くことで、気づきがある。気づきの無い学習は身にならない。」

もう少し先達が残した財産を大事にした方が良い。物事の本質に触れることができる。

(宮川 雅明)

経営コンサルタントとして生きる


中学時代、父親の会社が倒産。その後、親戚に預けられる。その頃から会社を良くする仕事をしたいと何となく思い始める。身勝手ではあるが、私にとっては経営コンサルティングは会社の医者のようなものなので社会貢献と位置付けている。

高校卒業後、靴の販売会社に就職。お金が無かったので走って会社に通う。僅かなお金が貯まり、その範囲内で行ける大学を探し、運よく入学。入学金が払えたが授業料は払えず困窮する。大学1年の夏、キャンパスで倒れる。栄養失調だった。1か月入院する。入院生活は楽しく、大部屋で私だけが豪勢なメニューだった。

港湾労働、雀荘の店員などしながら卒業を目指すが、実家もない学生にはまともな就職ができない。興信所が調べる。そういう時代であった。会社を良くする仕事をしたいのでサラリーマンになるつもりはなかった。港湾労働は非常にきつかったが楽しかった。社会を支えている底辺を知ることは視座の土台となっている。

学者になれば会社を良くする仕事ができると思っていた頃、大学院の経済経営部を新設する大学があると知り、2名枠の募集であったが、受験する。何故か運よく合格する。

ところが学者というのは会社を良くすることはしないと知る。そうではない方もいるかと思うが。悩んでいる時に、面識もない教授が「お前は日本能率協会が向いている」「俺が紹介状を書いてやろう」。日本能率協会は商工省時代の研究機関であり望んでいる所でもあった。

さっそく面接に行く。丁度、役員会らしきものをやっていて、その場で面接。「あんな奴の紹介状を持ってくる奴はろくでもない」とかいわれたが、その場で合格となった。明日から来いといわれ、「授業がある」というと、「大学院の勉強なんぞ何の役にも立たん。現場に出ろ。」「明日来れるか」…「行きます」。その後、論文はきちんと出し、無事学位は取得する。当然であるが、修了式は出ていない。

風呂なし、トイレ無しのアパートに住み続けながら、がむしゃらに仕事をし、母へ仕送りを続ける。10年後、意識不明で倒れ、復帰に半年を要する。会社との方向性に違いを感じ、約20年務めた会社を断腸の思いで辞める。その後、雇われ社長をするが、会社を良くするプロフェッショナルを目指すため退職。40歳半ばであったが、これまでの海外プロジェクトの経験などから日本に居ても面白くない。ニューヨークで起業する。無謀と言われたが、無謀でない挑戦などない。信念に反する仕事、プロフェッショナリティを追求できない仕事はしたくない。

これまで複数の大学院で教鞭を執らせていただいた。いい加減なことはいえないので、アカデミックの勉強もした。亡き師匠がいった。「理論と実践を繰り返して信念は生まれる」。その通りだ。

60歳を過ぎ、大企業ではなく中小やベンチャーの支援をしたいと思います。現在は、そうした会社のご支援をさせていただいている。ちなみに大企業エリートには中小企業は務まらない。

気づいたら黄色の介護者保険証が送られてきた。高齢者になっていた。師匠がいった「老いは人それぞれだ」。これからもプロのコンサルタントとして粛々とカタナ(腕)を磨き、会社を良くすることに尽力しよう。(宮川 雅明)